■ P6 エピソード ハジマリの書 |
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そこは、世界の全てがあった。 そこは、全ての世界があった。 地平線の果てまで延々と書棚が並び。無数の書が収められていた。 そのほとんどはそこが居場所であるかのようにきちんと収められていたが、書棚から溢れたモノについてはそれぞれが存在を、書の中に収められた知識を、あるいは想いを主張するかのように塔を築いていた。 そこを照らす光は太陽のそれではなく、また炎が生み出すそれでもなく、月の明かりのように冷ややかで、夕暮れのような頼りない明かりが、高い高い天井のどこからともなく降り注いでいた。 かつり。 膨大な書棚の合間を縫って歩くのは、ある世界で「天使」と呼ばれた者であった。 決して明るいとは言えないその書庫において、頼りない光でも輝きを失わない、長い銀色の髪を揺らし、迷いのない足取りで歩む。 どこまでも続く書棚の合間を、曲がり、ある所でまた曲がる。方向も、今居る場所も、時間さえも分からなくなりそうな本の迷路を進む彼が。ふいに足を止める。 「珍しいね。キミがここに居るなんて。」 明るい、柔らかな声が唐突に響く。今しがたまで人の気配など微塵も感じさせなかった「そこ」にその人物は存在していた。 翠の瞳が悪戯っぽく細められる。「天使」は書棚の上に腰掛けている「それ」を一瞥すると、さして興味なさ気に書棚に手を伸ばし、一冊の本を抜き出した。 本の形態は時代や、世界によって姿を変えていく。その本は革で装丁されていた。 「何か言ってくれてもいいじゃない。」 「それ」がよいしょ、と掛け声をかけて書棚から飛び降りる。ひらひらと手をふる「それ」に「天使」は実に面倒臭そうに声をかけた。 「帰れ、天藍。」 ティエンランと呼ばれた「それ」は「天使」に近づき、「天使」の手から本を抜き取る。 「もう、今は白狐って呼んでって言ってるでしょ。アルト?」 天藍=白狐は銀色の「天使」をアルトと呼んだ。アルトスフィアと続けて繰り返す。 「その名は名乗ってない。メフィアだ。」 メフィア。ある世界で「天使」を指す言葉を己の名前だと主張し。メフィアは白狐の手から本を奪い返す。 「はいはい。で、何か調べモノ? 何か思い出したくなった?」 手なぐさみに、適当に書を選んでページをめくる白狐。その書は木の板を表紙をしており、中の紙からも文字からも相当古いモノである事がうかがえた。 「ハジマリの書を。」 革の表紙をめくり、紙面に目を落とすメフィア。 「どのハジマリを?」 白狐の声音が硬質を帯びる。 「全てのハジマリを。」 「それは忘れられた。その在り処はこの書庫のどこか、とだけ。」 巨人の背の高さ程もある書棚が幾百も幾千も立ち並ぶ、さながら本の樹海とも言えるこの場所において、たった一つの書を探すと言うことがどれほど難しいか。 「ならば、オレ達を作り出した世界のハジマリを。」 手にした本を閉じ、書棚に戻す。指がいくつかの背表紙をなぞり、まだ真新しい一冊の本に手をかけ、引き出す。 それは至って無造作に選ばれていたようで、その実、メフィアの手によって選ばれる事が決められていた本であった。 「それを知って、どうするのかな?」 「全ての世界の事柄を記された書庫には、どこまでの情報が詰め込まれているか。気になっただけだ。」 「世界の全てを収めた書庫だからね。当然ボクらが生まれた世界に関しての書もある。今、ボクらが話している言葉も全て、どこかで新しく本になって書棚に収まっていくんだ。」 本の背表紙を撫で、愛しげに白狐が呟く。 「その書庫に連れてこられた人形は。何を「読んだ」?」 メフィアの紫色の瞳が細められる。 「人形のハジマリを。その本がそうだよ。」 白狐がにこりと笑みを浮かべて答える。 メフィアの指が表紙にかかり、するりと伸びた白狐の指に押さえられた。 「いけないよ? 勝手に人の世界を覗くのは。」 「今までここで、どれだけの本を開いてきた?」 そういわれれば、白狐には返す言葉がない。現に今も、彼の手の中では古びた本の頁がめくられ、中に記された言葉をあらわにしている。 もう一度、メフィアが表紙に手をかける。 今度は止めるものもなく、本はあっさりと開いた。 「ここは・・・?」 白狐に手を引かれた少女が、しきりに左右を見渡している。 どちらを向いても、上を見てもどこまでも書棚。そしてそこに収められた本の背表紙に刻まれた文字は、その殆どが彼女の知らないものであったからだ。 「ここは書庫。本を収める場所だよ。」 白狐の足取りは軽やかで。よく知った場所を案内するように少女を導いていく。 「だけど、こんな大きな書庫・・・」 導かれるまま足を進める彼女の赤い瞳は不安に揺れている。小柄な彼女にとって、身の丈を優に超える書棚が延々と連なる光景はなかなかに威圧感を感じさせるのであろう。 「うん、キミ達の感覚で言うなら「異世界」って事になるだろうね。ここは色んな世界が本として存在してるんだ。その世界には、ボクの世界も、キミの世界も当然入ってる。」 「えぇと、それで。どうして私が、ここに?」 白狐の歩みがゆっくりとしたものになる。途中の本棚から本を一冊抜き出し。手近な所にあった椅子を引っ張ってきて彼女にすすめる。 「話せば長い事ながら。聞いても理解して貰えるか分からないし。でも知っておいて損はないんじゃないかな。多分?」 揺らぐ言葉。最後は至って自信なさ気に呟かれ。恐る恐るといった態でその本が少女の前に差し出される。 「何のことか、私には良く・・・」 「キミ自身の事。キミが不安に思っている事。キミが知らないキミの事。その中にはキミに関する事が記されている。今、キミがここに居る事も、ボクと話している事も新しい頁にどんどんと書き込まれているんだよ。」 促されるまま、彼女が椅子に座して本を受け取る。表紙には彼女の知らない文字が躍っていた。 「だけど、これ・・・言葉?」 厚紙と紐で綴じたその本に踊る模様をなぞって彼女が小首を傾げる。 「なるほど、そーいうこと。 じゃぁ、ボクが詠んであげるよ。」 物は下に落ちる。 その法則を無視して本が浮いていく。それは白狐の手元でぱらりとめくられ、中に記された情報を明らかにしていく。 「まずは、キミにつけられた名前。キミの名前は?」 「ラフィル。 ラフィル・クレメント。」 「それは正しくて、ある意味間違いでもある。クレメントの血筋はキミが生まれる時に、絶える運命だった。」 「っ!? それは、どういう…」 零れ落ちそうな赤の瞳が大きく開かれる。 「キミは生まれることが出来なかった子供だから。」 白狐の指が頁をめくる。中に記された文字は彼女には理解できないが、描かれている意味は流れ込んでくる。 動かない、白いおくるみ、それを諦められずに泣き咽ぶ母親。 その光景を彼女は、母親の側で視ていた。 その光景を白狐は、動かない赤ん坊のすぐ側で視ていた。 「ちょうどね。ボクが連れてきた人形の核の容れ物を探しててさ、これなら死んじゃったキミの魂の代わりになると思ったんだよ。」 その土地の神や精霊に近しい姿を取り、母親に声を掛ける白狐。 「あの時は、神様だと思っていたんですよ?」 「残念だけど、いくら神様ぽくても神様じゃないからね。でも、キミが今居るのは、キミのお母さんがそう願ったからだよ?」 手短に、その赤ん坊に核を入れさせて欲しい。そうすれば、形は違えどももう一度生きる可能性があると説明する白狐。 そんな白狐に、彼女の母親は「すぐ側にいる、娘の魂も生かして欲しい。」と願った。 普通は、一つの入れ物に入るものは一つ。しかも、そこにいる魂は既に一度身体から離れてしまっている。 渋る白狐に、母親は言葉を重ねる。 貴方が生かせたいと願う「それ」と私が生きていて欲しいと願う子供に、どれほど違いがあるのでしょうか。貴方が「それ」の事を思うように、私は私の娘の事を思っているのです。 「どんな形でも、生きて欲しいって思うのは一緒なんだなって思ったら。断れないね。」 かくして、小さな身体に一つの核と、一つの魂を押し込まれて「それ」は生きる事になった。 その代償として、白狐は本来の名前の一部を、母親は生命の全てを失う事になった。 「今の、コレが本当だとして…私は一度死んでいるから、今外に出るなとでも言いたいのかしら?」 赤い瞳を剣呑に細めて、彼女は白狐を睨み付ける。 「成長するまで、どちらが外に出るか分からなかったんだよ。結果、出てきたのはボクの連れてきた核の方で、キミの魂はずっと隠れてた。」 ほんの子供の頃のラフィルが一人で遊んでいる。 異界の力の影響を受けた為か、この辺りではありえない薄い桜色の髪と、濃い赤の瞳。 なにより、夜が明けた時には死産だったはずの赤ん坊が泣いており、一命を取り留めたはずの母親がすぐ側で事切れていた事から、赤ん坊は取替え子か、忌み子、狐子、鬼子として村人からは畏れ遠ざけられていた。 「ずっと視ていたの。ずっと、私と私は一人だったわ。」 「そう、キミの魂はずっと出てなかった。なのに、何故今頃、キミの魂が出てくるのかな?」 「私が「イラナイ」って言ったのよ。こんなに苦しくてツライ思いするならイラナイって。だから貰ったの。少しずつ、貰っていくつもりだったのよ。」 白狐のめくる頁は断片的で。数ヶ月、数年の合間を軽々しく飛び越える。 だが、彼女はその全てに見覚えがあった。 想い人に出会っている時も、人外の争いを見ている時も。ラフィルが様々に誰かと関わっている時も、一人で視ていたからだ。 「羨ましかったのよ。でも、多分ずっと私は視てるだけしか出来ないと諦めてたわ。」 一人で居る事に慣れすぎたラフィルには、特定の人に好意を向けられ続けるという事に耐えられなかった。 だから、想い人から逃げ出した。 逃げ出し、もう会う事も叶わなくなった頃になってから、ラフィルは気付いた。 それからずっと、後悔し続けている。 「そんな時よ、ずっと視てるだけしか出来なかった私が、私に声を届けられたのは。」 「なるほど、大体の事情は分かったよ。」 本が閉じられる。二人の脳裏に流れ込む幻視は消え、書庫に溢れる古い紙の匂いが鼻についた。 その光景の事が描かれた本が閉じられる。 空気も、古い紙の匂いも本が開かれている時と全く同じではあったが、違和感は拭いきれず、メフィアは目を閉じて細く息を吐いた。 「…おかえり?」 すぐ側で本を開いていた白狐が首を傾げる。やや長めに切られた茶色の髪がさらりと揺れてその表情に紗を乗せる。 「あぁ、どのくらい「読んで」いた?」 「さぁ? ここの時間はちょっと歪んでいるからね。ボクの読書は結構進んだけど。」 先刻まで脳裏に広がっていた場所は同じ書庫。未だ本の中から戻りきれていない様子のメフィアに白狐が微笑む。 「…そうだったな。」 ゆるく頭を振って幻視を追い出す。長く伸ばされた銀色の髪が鈍く光る。 本の幻視は、その資格があるものにとっては五感を伴って再現される。顔を覆った手が少女のモノではない、男の手であることに、視界に映った髪が淡い桜色ではなく、良く見知った銀色であることに気付き、やっと自分の姿を再確認した。 「本を「読む」のは久しぶりだった? それとも疲れてたかな?」 白狐の手の本も閉じられている。元々「読む」気はなかったのであろう。ただ、メフィアが読み終えるまでの時間つぶしとして開かれていた本だ。 「そうだな、少し疲れたかもな。 で、何故お前がまだここにいる?」 メフィアの口調が棘を含む。 「うん、その本を「読んで」どうするつもりなのかを知りたくって。」 白狐がにこりと笑う。 「だって、彼女の側によく居るのはキミじゃなくてボクだから。本を「読んだ」ってことは、その上で何かするつもりで来たんでしょ? それをボクは知りたいな。」 するりと不必要に近づいてくる白狐を肘で撃退する。それでも近づいてきた白狐の顔にもう一方の手でデコピンを食らわせ、白狐を完全に撃退する。 「結論は出ねぇが…あの状況を是とする訳にも行かねぇだろ。引きこもった核の方も、調子に乗ってる魂の方も。」 「そりゃぁね、でも…」 額をさすりながら、白狐の唇が尖る。 「オレ達の存在のために、あの核は絶対必要なモノだ。…だが、お前は魂の方も残せと言いたいんだろ。何かねぇか、お前も、そのピンク色の脳細胞で考えろ。たまには。」 銀色の髪を手櫛で梳きながら、本を書棚に戻す。一つだけ空いていた空間が埋まる。 「いつも考えてるのにぃ。キミのその銀髪に触れられたらとかぁ、抱いたらどんな顔するのかなぁとかぁ…」 「他に考える事があるだろうが、その腐った脳ミソを他の事に使えっ!」 元々鋭い紫の瞳が更に半眼になり、割と手加減のない足蹴りが白狐を捉える。 「イタイイタイっ! もう、冗談なのにぃ。」 「やかましい! お前も戻れ。 オレも戻る。」 「はいはい。じゃぁ、教会の方に戻って、シスター達に遊んでもらおうかなぁ。」 「そ、じゃぁな。」 ひらりと手を振って背を向けるメフィア。まっすぐ歩いていったようにも見えるが、既にその姿は書庫のどこにも見えない。書庫の中は決して暗いと言えず、また通路はまっすぐ作られているにも関わらず。 それを見送った白狐もまた、反対方向へと歩き出した。こちらもまた、数歩も歩かぬうちに書庫の中から消える。 静寂が、書庫に訪れる。 いや音はあった。いつからあったのだろう。一冊の本が風もないのにぱたりと閉じられ。目に見えぬ手の仕業によって空いた書棚に収まるまで。 今度こそ、完全な沈黙が書庫を覆った。 |
いつもと書き方を変えてみようと思い立ち。あれこれ悩みつつ、キャラ紹介になるかなぁと書いていたら余計訳の分からないモノになりました。 なんとなく白狐、メフィア、ラフィルがどっかで繋がってるって事だけを明らかにしたかったのですが、脳内妄想の全部を詰め込むには色々と足りませんでした。 オノレの力不足にひゃっほーい。 2009/02/01
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